一人ひとり違う人間だからこそブログを書く価値がある
シュウが入院となり早3日、時間的な制約がなくなりまして、その分考える時間が増えました。いま、改めてブログを始めた理由について、あれやこれやと思考の触手を伸ばしています。
はてなを初めてそろそろ三か月が経とうとしています。三日坊主界の風雲児としてならした僕にとって、これだけコンスタントにエントリを続けてこれたのは中々の快挙でした。
そもそも初エントリにある通り、僕は「考える」ためにブログを始めました。どれだけ質の高いインプットを続けていても、自分の脳内で変換しアウトプットに繋げなければ考えたことにはならないんだなと気付き、一番手っ取り早いアウトプットはブログだなと、そんか思いからはてなIDを取得しました。逃げ道を作らないように、わざわざはてなブログProにお金を払い、背水の陣で臨んだだわけです(Proの機能はほぼ使っていない。。。)。
学生時代にmixiを少しかじった程度の文章力と、「走れメロス」を「走れエロス」に変換し一人でニヤついていた国語の授業から得られた語彙力では、文章を書くという作業は当初の目論見通り、まさに考える作業でした。頭の中にある思いを言語に変換すると、もともとあった想いからズレが生じてきて、こんなこと言いたいんじゃないファッキン!とボツにしたエントリも多数あり、こういったセルフPDCAサイクルは自分を見つめなおしすキッカケにもなったりして、そういった意味でもブログを始めてよかったなと思ったりするわけです。
さて、三か月弱が経過し改めて自分がブログを始めた理由を振り返ってみると、上記した「考える」ためだけではない思いもあるなと気付きました。それは、他人とコミュニケーションを取りたいんだなということです。
僕はリアル世界では、極力人と関わらないようにして生きています。理由を聞かれると他者と関わるということが自分にとって優先順位が低いんだとシュッとしたことを話しているのですが、本当の理由は怖いからです。自分の意見を表明しそれが否定された時の心理的ダメージを負いたくないからです。一方で、それではだめなんだなということは明確に自覚はしています。どんなに素晴らしいアイデアがあっても、他人に伝わらなければ意味がないんですよね。でもコミュニケーションを取るのが怖い、、そんなことの繰り返しをここ十数年繰り返してきました。
ある程度社会福祉の世界を俯瞰できるようになり、その世界にとても親和性の高い医ケアの子を持つようになり、仕事として親として、様々な感情が生まれてきます。障害をもつ人の現状について伝えていきたいし、まだまだ穴のある制度や誤解のある制度のことをきちんと伝えていきたいなという感情もあるし、同じ医ケアの子を持つ親に少しでも関与していきたいという感情もあります。そして可能であれば気持ちを共有することによってポジティブな気持ちになって欲しいなとも思っています。で、読んでくれる人の感情に触れて揺らすことができるのは、結局のところ僕がもつ感情を表明しなければ始まらないんですよね。コミュニケーションがとりたいのはここに理由があるんだなと、そんなことに今更ながら気付いたのでした。
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今あなたに生まれてくる感情は、あなた独自のオリジナルです。そりゃ当然ですよね。あなたと全く同じ人生を他人がトレースできるわけないんですから。でも、だからこそ、あなたのブログには価値があるんですよね、きっと。