お久しぶりです
ご無沙汰しております。最後の投稿から5年ほど経っていたようです。日々の生活に忙殺されてつい放置してしまっておりました。日暮が寝て起きて更に寝てしまうほど長い時間の中でも現在でもアクセスがあるということは、日本のどこかに気に留めてくださる方や、医療的ケアに関する情報を欲している方がいらっしゃるということなのかな。そうであったならとっても嬉しいです。今日はその方達のために、文章を書きます。
最後の投稿から色々なことがありました。新しい児童発達支援にも通ったし、コロナ禍も耐え抜きました(無感染!)。一番大きな出来事は、特別支援学校への入学でしょうか。例に漏れず私も学校へ同伴し、シュウと共に授業を受けていました。シュウにとっては初めての学校ですが、私にとってもうん十年振りの授業で、新鮮な体験でしたね。特別支援学校の授業は受けたことがなかったので、社会見学のような心持ちもありました。制度のことで色々と思うところはありますが、現場の先生たちはいつもお気遣いをくださりました。例えば、シュウが授業を受けている横で私が寝ていると、小声で「お父さん、お疲れのところ恐縮ですが次移動するので起きてください」と起こしてくださいました。仕事をしていると机や椅子を用意してくれたりとかもありました。多くの場合は私の怠慢と放漫さといい加減さへのフォローでしたが、その一つ一つが、大変嬉しかったです。制度と保護者との間で、懸命にお仕事されている姿がありました。
入学前は、なんで親が送迎して子の授業にも参加しなきゃいけないんじゃワレェ!!と私の中のBAD BOYSが暴れており、訪問級を検討していたのですが、通級を選択して良かったと今は思えます。特別支援学校の生活は2ヶ月弱でしたが、行って良かったなと思っています。いつか成長したクラスメイトの姿を見れたらいいな。
令和5年6月7日、シュウは息を引き取りました。7歳の誕生日を3日後に控え、ベットの上には学校や放課後デイサービスの皆さんにお誕生日カードが飾られていました。その頃は体調不要による入院もめっきり減っており、前日も普通に学校に通っていました。朝起きると身体が冷たくなっていたので、苦しまずに逝けたのかな。それだけが心配です。
亡くなってから1年と4ヶ月、ブログを更新する気持ちになったのは、具体的な出来事があったわけではありません。強いて言えば、「時間がそうさせた」でしょうか。シュウとの生活は常に走り続けていたようなものなので、ただ流されて生活してみるというのも悪いものではないなと思ったりしています。
このブログは生活の記録として、残しておこうと思います。今後の生まれてくる子どもたち、それを支えるお父さん、お母さんの為に残しておきたいんです…‥と言えたら良かったのだけど、理由は明白です。なんか消すのは勿体無いから。あと生きた証がネットの海に漂い続けてるってめっちゃエモいからです。
当初は新進気鋭の社会派ブロガーを目指していましたが、その実、自己満だらけの文章で大変お目汚しもあったかと思います。画面の向こうで汚物を見るような目を向ける読者の顔を想像すると…‥ゾクゾクします!!!(本当です)。
ただ、わたくしにとってはごちゃごちゃした頭の中を整理するツールとしてはうってつけで、ブログを書くことでとても救われていました。読んでくださる方が何かを感じ取り、コメントを残してくださったことや、メールをくださったこと、とても嬉しかったです。交流のあった方、ないけど定期的に見に来てくれた方、たまたまたどり着いた方、本当にありがとうございました。いつかどこかでご挨拶できたら嬉しいです。
最後に、告別式での親族挨拶の言葉を載せて、結びとしたいと思います。 これまでお付き合いいただきありがとうございました!!!
(初めてこのブログに辿り着き、この記事から読み始めた方へ。1発目からこんな記事でサーセン。医療的ケアがある子どもとの生活は大変ですが、案外楽しめるものですよ。あまり深刻に考えず、まあ何とかなるかー位の距離感で生活して欲しいなと思います)
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本日は故シュウの葬儀に際し、皆様大変お忙しい中、ご会葬いただき、誠にありがとうございました。
七年前の今日、六月十日、修司は生まれました。
お腹の中では何のトラブルもなく大きくなっていたものの、出産時に容体が急変しました。手術室へ運ばれていく妻の後ろ姿、手術室の前をせわしなく行き交う先生や看護師たちを、薄暗い待合室で一人、ぼーっと眺めていたのを昨日のことのように思い出します。出生から三週間昏睡状態が続き、初めて目を開けた時、「おはよう」と言えたこと、この些細な一言が言えたことがどんなに嬉しかったことか。今振り返れば、この時が、シュウと一緒に生活していくことを決意した瞬間だったように思います。
あれから七年間、本当に色々なことがありました。
アラームが鳴り止まず、緊急入院した日は数え切れません。退院したその日にまた体調を崩し、そのまま病院へ帰ったこともありました。クリスマスや年末年始、誕生日などは決まって体調を崩し、入院していくシュウ。イベント時に入院すると、病院では多くの人に可愛がってもらえるし、退院した時もまた、ヘルパーさんや児童デイの皆さん、訪問看護師さんに心配してもらえるので、まるでイベント時の入院を狙っているかのようです。何かるとすぐアラームを鳴らすし、本当にかまってちゃんです。今日、七歳の誕生日を迎えることができなくて残念ですが、どこか、最後までシュウらしいな、と微笑ましく思っている自分がいるのも事実です。
医療ケアを受けながら生きていくことの意味は何なのか、いつも考えていました。シュウには二人のお姉ちゃんがいます。親としては三人平等に関わりたいと思っているものの、現実的にはシュウにかかりっきりになることが多く、お姉ちゃん二人に我慢させてはいないか、寂しい思いをさせてはいないか、そのような心配を払拭したくて、障害のある、なしに関係のない、子どもたち3人に共通する生きる意味を見つけたかったのだと思います。
六月七日に逝去してから、たくさんの方がシュウに会いに駆けつけてくださいました。今日もたくさんの方が集まって下さっています。涙を流してくださる皆さまの姿を見て一つ、答えを見つけました。「生きること」とは、「出会うこと」です。皆さまの中にある、シュウとの思い出一つ一つが、シュウの生きた証です。
シュウとは今日でお別れになってしまいますが、一つだけ、わがままを言わせていただけるなら、折に触れてシュウのことを思い出してくださると、これほど嬉しいことはありません。
シュウに出会ってくれてありがとうございました。
最後になりましたが、これまで私たち家族を支えてくださりありがとうございました。皆様がいなければ、七年間もシュウと一緒に生活することができなかったと確信しています。
簡単ではありますが、親族代表の挨拶と変えさせていただきます。本日は誠にありがとうございました。
令和五年 六月十日