僕たちはネットの文章など読んでいない
『知識には2種類あります。その主題を自分で知っているか、それに関する情報をどこで見つけられるかを知っているかです』
-サミュエル ジョンソン
「好奇心」の次が「行動」ではなく「スマホ」となる時代、ジョンソンの言った2つ目の言葉を現代に当てはめるなら、答えは「Google」になるのではないでしょうか。
インターネットの普及によって情報取得のハードルは格段に下がったことは言うまでのありません。オフィスにも自宅にもPCがあり、誰もがスマホを持ち歩く現代社会において、検索窓に気になる単語を打ち込めば、1秒後には情報の海へ飛び込むことができます。図書館へ行き文献を当たったり、専門家に話を聞きに行ったりする手間と比較すれば、ハードルなんてないようなものです。
一方で、PCやスマホに向きあう時間が長くなればなるほど、インターネットで集められた情報は自分の知識になっているのだろうかと、ちらちらと不安が積もる人も多いのではないでしょうか。同じ文字を読んでいるはずなのに、「インターネット上の文章」と「本」では受け取る印象がなんか違うぞ、と。
以前エントリで書いた通り、ソーシャルワークの現場にいると、「読書」と「貧困」に相関があるのではないかと、疑問を持たずにはいられません。子育て中の貧困世帯の自宅にはほとんどの場合絵本がなく、スマホやタブレットで時間を潰している子どもがなんと多いことか!
これらの経験が単なる勘違いなのか、実際に脳内の働きに変化が起きているのか、客観的な事実はどこにあるのでしょうか。
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結論から言うと、僕たちはネット上から得る情報をほとんど「読んでいません」。
ネットの特性である「双方向性」「ハイパーリンク」「検索可能性」「マルチメディア」が人の注意を散漫にし、深い思考、あるいは創造的な思考を行うのを妨げていることが、様々な実験によって証明されています(詳細は参考文献をどうぞ)。
皆さんもこんな経験ありませんか。
ネットである出来事を調べていたらわからない単語が出てきたので、途中でその単語を調べた。途中まで読んだが、その先に貼られていた興味をひくバナーをクリックしてしまい、また別のウィンドウが開かれてしまった。そうこうしているうちに、友人からLINEが来たので返信。twitterやfacebookからは新着のお知らせが入り、ソフトウェアのアップデート情報も来て、、、。
このような状況では脳が集中して思考を深められるわけありません。インターネットは人の注意を引き付けますが、思考を注意散漫にさせてしまうのです。
一方で読書はどうでしょうか。本を読む行為はとても「意識的」であり「直線的」な行為です。本の中にはマルチタスクを要求する機能はないし、単語にハイパーリンクが貼られている訳でもありません。本と自分の間にあるのは文字と、静寂だけ。本の中で出会う新たな状況、登場人物の心理変化、作品の世界観を自己にトレースして対話を繰り返す。この過程で知識が深まり、知恵を身につけていることは、多くの方が経験的に理解しているはずです。インターネットのように幅広い情報を一気に集めることはできませんが、閉じた世界だからこそ集中を生むのです。
脳は外部の刺激により活動を活発させるという事実からすれば、ネットの使用は脳の訓練に適しているかもしれません。しかしそれが深い思考に繋がるかといえば、答えは「NO」です。様々な情報が濁流のように流れ込んでくるインターネット環境で文字を読むことは、ナンプレを解きながら読書をするようなものなのです。
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もしかしたらネットだけで充分だし!とおっしゃる方がいるかもしれません。知りたいことがすぐ分かるのだから本で調べるなんて時間の無駄でしょという声も聞こえてきそうです。そんな方のために、自分がどれだけネットの文章を読んでいないか確認する方法を思いつきました。興味のある方はぜひ試してみてください。方法はとっても簡単です。
「就寝する前に、その日のweb閲覧履歴を確認する」
これだけです。
まず、こんなにもページを閲覧していたのかと驚くことでしょう。
さらに驚くのは、履歴の表題だけを見ても「このページなんだっけ?」という感覚に襲われることです。ページに飛んで初めて、「あー。そういえばこんなの見たわ〜」となるはずです。ちなみに僕は昨日175ページもの履歴があり、そのうち約7割は「?」がつきました。。。
自分としては興味をもって「読んでいた」はずなのに、記憶として残っていなかったなんて、かなりショックでした。
デジタルデバイスがポケットサイズにまで小型化され、ネットワーク環境が発展した結果、文字通り「いつでも」「どこでも」ネットを覗けるようになりました。持ち運びしやすく、個人的なものは暮らしの中に溶け込みます。それが自然になればなるほど、(うがった表現をすれば)時間が奪われると言えるのではないでしょうか。奪われた時間が思考を深め、知恵を与えるものならあまり問題はありません。しかし結果は先ほど確認した通り。「時間」という人間に唯一平等に与えられた資源が、無駄に消費されている可能性が高いのです。
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インターネットについて、ここまで否定的なことばかり書いてしましましたが、知識の源泉が本からネットに変わっていくことで実際に人類がどう変わっていくのか、という点については、現状「なってみないと分からない」そうです。
かの有名な哲学者ソクラテスは文字として記録されことに対して大きな懸念を抱いていました。それは彼の思想を「文字で」残したのは弟子のプラトンらであり、自身は著書を残していないことにも表れています。
ソクラテスは記述されることによって、人の記憶が破壊されることを恐れていました。覚えるために書く、ではなくて、忘れるために書く、と捉えており、その結果頭が使われなくなって短絡的な思考に陥ると考えていたようです。
しかし、 ソクラテスの主張が外れたことは、皆さんが証明している通りです。文字を残しそれを読む、その過程の中で思慮深い脳が形成されていくのは間違いありません。
他方、当時のギリシャは一部の特権階級が文字を操り、手書きの写本が出回り始めた頃でした。話し言葉→書き言葉というテクノロジーの変遷期と捉えれば、現代社会と似ています。ソクラテスほどの賢人ですら、新しい時代を読み違えました。インターネットに本が駆逐された世界に住む人間の脳がどのようなものになっているのか分からないのであれば、変遷期にいる僕たちは、「テクノロジーが自分を変化させる」と認識した上で、新旧のテクノロジーとどう付き合っていけばいいのか考え続ける必要があります。
例えばネットは表面的な情報や、「旬」の情報を集めるには最適ですからその部分については使い倒しましょう。まっぷるを開いて目的地を目指す時代ではありません。
他方で、思考を広げ掘り下げるには不向きなので、ネットから得た情報の中で引用されている文献があれば原著に目を通しましよう。気になるワードがあれば専門書を漁りましょう。
インプットをアウトプットに繋げる過程が「考える」ことだと捉えれば、facebookやtwitterのような短文の発信ではなく、instagramのような非言語の発信ではなく、理論的で体系だった文章を書く訓練をしましょう。
デジタルデバイスを経由すると文字は記号となるため、本当に感謝を伝えたいときはLINEではなく、手紙にしましょう。
このような意識的な使い分けをするかしないかで人生が大きく変わる時代になるのではないかと、僕は想像しています。
■参考図書
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