読書と貧困
このようなレポートを読むまでもなく、現場にいると貧困の世代間連鎖を驚くほど目にする。母子世帯、障害者世帯だけでなく、病気や障害もない単身の稼働年齢層の方もいて、彼らは幼少期の貧困体験を告白することも少なくないし、親もどこぞの市で生活保護を受けている、なんて話もよく聞く。なんで貧困って連鎖するのだろうか。
貧困の悪循環 - Wikipediaによると、
持ち合わせる資源が限られているか、まったくない。多くのディスアドバンテージがあるため循環プロセスに乗るのは困難であり、個人がこの悪循環を脱するのは事実上不可能
からだという。
かなりざっくりした話をすると、お金がない→本買えない、塾いけない、進学できない→地頭が向上しない→コモディティ化された職にしか就けない、若しくは付加価値を生み出すことができないため賃金の向上が見込めず、貧困に陥る。という連鎖が起きているのだろう。
貧困に陥らないためには、知的、文化的、社会的、金銭的などの資本が必要だ。自分の人生を思い返してもこれは確かにそうだ。僕は勉強はあまりしなかったけど、少なくとも自立できる年齢になるまで親がサポートしてくれたからこそ、様々な経験を積むことができた。それが礎になっていることは間違いない。子どもにとっては、資本の元締めは親であるため、親が貧困状態であると子どもは「資産」を貯えることができず、学齢期を過ぎてを社会へ出ることになっても貧困から抜け出せないのだ。
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この人の話はおもしろいなあ、示唆に富むなあ、と感心してしまう人は例外なく読書家だった。小、中、高、社会人と出会ってきた人すべてにそれは共通していて、性格的に合う人も合わない人も含まれていたから、この法則は僕の趣味嗜好の範囲ではなさそうだ。彼らはまた、満ち足りた生活を送っているように見えるという点でも共通していた。話が面白いなあと感じた全ての人の詳しい家庭背景はわからないけど、少なくとも貧困世帯に見られるような切羽詰まった余裕のない感じはなかった。
先に貧困へ陥らないためには「資本」が必要と書いたけど、少なくとも知的資本には読書が深く関連しているのは紛れもない事実だろう。読書と貧困は相関がある気がしてならない。
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読書が貧困の連鎖に関連があるのかどうか。脳は人間にとって最大の資源だろうから、読書が脳へどのような影響を与えているのかを知るため、この本を読んでいる。
- 作者: メアリアン・ウルフ,小松淳子
- 出版社/メーカー: インターシフト
- 発売日: 2008/10/02
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副題の通り、脳に対して読書が与える影響を、考古学、教育学、脳科学などの観点から論じている本。この本を一言でまとめるというかなり乱暴なことをすると「読書することで脳が変化していく」。
貧困と読書という論点から読み解くと、読書をしないということは、脳の中に見えない階級社会を自ら作るようなもので、それを脱するのはとても困難だなあとということが良くわかる。以下、本書の内容を引用しつつ、その根拠を共有したいと思います。
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経験によって形成される脳
貧困と読書の関係性を説明するため、まずは基本的な脳の性質を押さえます。
1、脳を構成する物質の神経細胞(ニューロン)。その機能は情報処理と情報伝達で、ニューロンの働きによって、認知、運動、感情、記憶、学習といった高度の情報処理を実現している。
2、脳は既存の脳内の構造物に新し「接続」を生み出す能力を備えている。
3、「接続」を生むには、刺激が必要。刺激とはすなわち「経験」である。
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読書とは、他人を経験する行為だ。
物語の中では、戦地へ赴くことも、宇宙へ行くことも、時間泥棒を捕まえに行くことも、空飛ぶ鉄道に乗ることだって自由自在。このように、本を読むことは自分とは年齢も性別も文化も歴史も世界さえも違う他人の意識へ入り込み、疑似体験をすることは新たな知見を産むきっかけになる。ニューロンレベルというと、この時に「接続」が産まれている。つまり、読書とはもっとも手軽な「経験」。経験によって脳が形成されていくのだ。
連想ゲームをする脳
また、脳は一つの単語に単純な意味を見つけるだけではなく、そこから関連するたくさんの単語に関する知識を探してこようとする性質があるという。
例えば、「虫」と聞いて、足が六本ある昆虫やをひらひら飛ぶ蝶々を思い浮かべるだけでなく、虫を英訳しbugと捉えて、フォルクスワーゲンのビートル(ドイツでの愛称がbug)を思い浮かべたり、コンピューターのバグとイメージする人もいるはずだ。
当然ながら、この連想ゲームは脳内に貯えられている知識の豊かさ、つまりそれまでの「経験」によって決まる。
これら事実は、経験が乏しくなりがちな貧困世帯にある子どもたちにとってはとても悲惨な現実だ。本文でもこう指摘している。
語彙が豊富で連想力が豊かな子どもたちは、どんな文章を読んでも、どんな会話をしても、同じ語彙や概念を持たない子どもたちとは相当異なる経験をすることになるのだ。
礎となる経験が不足していると、よほどの大天才や才能がある人でない限り、自力で世の中を渡っていくのは厳しいのではないだろうか。
読書経験の始まりは、親との関りから。しかし貧困家庭は、、、
貧困を脱するのは難しい。だが、希望もある。
以上、脳の性質から幼少期の読書習慣が脳の形成に大きく影響しているということを説明した。また、貧困世帯にいる子どもはその家庭背景から読書をする機会が限られてしまうのは、僕が話をするまでもないだろう。
これら事実を押さえると、いま全国で行われている子どもの貧困に対する支援を抜本的に考え直さなければならないんじゃないかなあと感じてしまう。少なくとも、幼少期からメスを入れなきゃダメでしょ。平成27年に施行された生活困窮者自立支援法の中には、学齢期に入った子どもの学習支援も盛り込まれているけども、これじゃ遅いよねえ。
脳の性質を貧困の連鎖と関連づけて考えてみると、どうも悲観的になってしまう。でも実は希望もある。以下抜粋。
読字自体は、次世代に伝わる遺伝プログラムを持たないプロセス。(略)一人一人が読字能力を獲得するたび、必要な経路形成の仕方を初めから学ばなければならない。
これってつまり、読字、語彙力の豊かさからくる連想力豊かさは、才能といわれるような先天的なものではなく、環境によって良いようにも悪いようにも変化可能だってことですよね。もちろん冒頭に「子どもにとっては、資本の元締めは親である」と書いた通り、その道は厳しいだろうけど、「やってもダメなものはダメ」、と「やったら可能性はある」では雲泥の差があるように思うのです。可能性の種が芽生える前に、生まれてきた環境が原因により、種さえも流されてしまうなんてことあったらダメでしょう。
著者はなぜ読書をするのかということについて以下のように書いている。
読書の目標は、著者の意図するところを超えて、次第に自律性を持ち、変化し、最終的には書かれた文章と無関係な思考に到達することにあるのだ。子どもが初めて、たどたどしくも文字を理解しようと始めた時から、読字は、体験すること自体が目的なのではなく、むしろ、ものの考え方を変え、文字通り比喩的にも脳を変化させる最良の媒体なのである。
本を読み、世界を知れば、自分の世界は親だけではないと気づくはずだ。自分のいる場所や思考がどれほど狭かったのか気づくこともできる。そしてもちろん、自分の尊さも学ぶことができる。そのような素晴らしい読書体験が全ての子どもに保証されたらなあと、切に願います。
参考:ニューロン | 脳について | 理化学研究所 脳科学総合研究センター(理研BSI) より