障害児を育てる親の気持ち、白にも黒にも分類されない感情
昨日は久々の休日だった。
妻とお姉ちゃん2人は外出していたので、シュウと二人でお留守番。
見逃していたM-1グランプリなどを見て、男二人だらだら過ごしていた。
(個人的にはとてもカミナリが良かった)
12月10日でシュウが産まれてから6ヶ月が経った。
いつ急変するか分からないと言われ続けた集中治療室時代から比べると、
在宅生活はとても安定している。
吸引回数は明らかに減ってるし、目が合うことも多くなった。
泣き声を上げることはないが、その寝顔は「普通の」赤ちゃんそのもの。
お姉ちゃんたちにそっくりな寝顔を見ていると、
重症新生児仮死で産まれてきたことを忘れてしまいそうになる。
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妻とお姉ちゃんたちは、保育所のお友達とクリスマス会に参加していた。
長女のクラスはママ同士がとても仲が良い。
子ども抜きでも頻繁に遊び、飲みに行ったりする。
例えば保育所へお迎えに行った後、大急ぎで子ども達にご飯を食べさせ、お風呂まで済ませる。
そのあとは夫に任せて、ボルダリングジムで他のママたちと待ち合わせ、
一汗かき、居酒屋で締める。というようなことを月曜日から敢行したりする。
まるで学生時代にやり残したことを、取り返そうとしているようだ。
その勢いは平日に納まるはずもなく、当然休日にも及ぶ。
特にクリスマスのような季節行事は彼女たちの格好の餌食で、
「子どものために」という印籠をぶら下げてすぐイベントを企画する。
今日もわざわざ地域の集会所を借りてクリスマス会を開催している。
ママ友+子どもたち総勢40名弱のイベントを、
2ヶ月に一回のペースで開催しているのだから恐れ入る。
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シュウが生まれる前、ママ開催のイベントに一度だけ参加したことがあった。
女の子同士の遊びしか見たことなかった僕にとって、そこで見た男の子たち遊び、
つまり、くそガキっぷりは凄まじいものがあった。
言うことを聞かない、守らない、すぐイタズラする、じっとしていない。
5歳くらいの男の子が複数人集まるとイタズラが指数関数的に増加する。
彼らの作る社会がアンプのような役割を果たしているに違いない。
「3人目が産まれるとしたら、絶対男の子は嫌だな」
イベントを終えて、そう確信した。
でも妻が妊娠してお腹の中の赤ちゃんが男の子だとわかった時、
イベントで見たくそガキたちのことなんか忘れて、
とても嬉しかったのを覚えている。
男同士で、一緒に登山へ出かけたりキャンプへ行ったり、
週末は野山を駆け回る想像をした。
そんな様子を見ては呆れる妻に対して、
「シュウが連れてけって言うから、、、」
と言い訳すれば許してもらえるかなあとか、
そんなくだらないことを考えてはニマニマするという夜が
出産する日まで続いていた。
その頃していた想像はきっと叶うことはないんだろう。
真逆と言ってもいいくらい違う未来がこれから訪れることになる。
正直言ってとても悲しい。
出産直後のように泣くことはないし、過度に悲観もしなくなった。
在宅生活にも慣れて、ご飯を食べる、トイレに行く、シャワーを浴びるなどと同じように、
医療的ケアを行う際はいちいち「医療的ケアをしているな」と意識することもなくなった。
それでもふとした瞬間に、これまた特に意識することもなく、
「普通に産まれていたらな、、」と思ってしまう。
今はまだ6ヶ月だから、同じ月齢の子と比較しても発達に大差はないが、
この差はどんどん広がって行くに違いない。
「普通に産まれていたらな、、」
この感情を制御する方法は、今のところ思いつかない。
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でもだからと言ってシュウがいなくなって欲しとは思えないし、
違う赤ちゃんだったらなとも考えられない。
もちろん障害がなければいいなと思うけど、
それは単なる「乗り物としての身体」という話だ。
シュウという魂に出会えたこと、一緒に生活できていること、
今膝の上に乗っかって、一緒にM-1見れることは本当に幸せだなと思う。
この感情はシュウでなければ得られなかったものだろう。
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「障害はなくなって欲しいけど、この子とは一緒にいたい」
医療的ケア児を育てる親は、子どもに対して両価的な感情を持ち続けるのだろう。
白にも黒にも分類されない気持ちを整理するには、
時間しかないのかなー。