時間の演出
シュウが産まれて4ヶ月が経過しました。
出産後から『色々』とありましたが、今は何とか、
重症新生児仮死の子ども、
医療的ケアが必要な子どもと生活していく、
覚悟というか、受け入れというか、
そういった類いの感情が、頭にあると自覚しています。
家族5人、このまま穏やかに生活していきたいなと、
心底思っています。
『色々』と書きましたが、何をしたのかというと、
病気についての情報収集であったり、
夫婦で話し合ったり、
先生に気持ちをぶつけたり、
先輩ママさんにアドバイスをもらったり、でした。
でも振り替えると、『時間の演出』が
大きかったのかと思ったりしています。
処理仕切れない情報と共に過ごす時間、
理論的に考えることができず、
涙とかため息とか愚痴とか、
自分のなかから溢れ出すものに蓋をできず
世界へこぼし続けていた時間、
チューブだらけのシュウを、ぼーっと眺めた時間、
さらに言えば、シュウのことをひとまず
頭の片隅に寄せて、仕事をこなしていた時間さえも、
積み重ねることができたからこそ、
今の自分があるのかなと思うのです。
そう考えると、 産まれてきてから今まで
シュウについては無駄な時間はありませんね。
この4ヶ月間の自分が、少しだけ救われます。
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仕事で医療的ケア児連絡協議会というものに
参加している関係で、
先日、特別支援学校を見学する機会を得ました。
結論からいうと、『行かなきゃよかった』
学校では、小中高の子どもたちが、
医療的ケアを受けながら、授業を受けている様子を
見ることができて、仕事としてはとても勉強になる機会でした。
ても親の視点が入ると違う。
そこにはシュウが進むかも知れない現実が広がっていた。
教育って何だろう、
機会って何だろう、
親って何だろう、
子どもって何だろう。
哲学問答1000本ノックを受けているみたいで、
息苦しくなった。
結局のところ、僕の覚悟というのは、
シュウの人生を全て背負い込んだものではなく、
乳幼児期限定のものだったのだろう。
体調は落ち着いているとはいえ、
3歳までは一緒にいたいな、という心の持ちようで、
今もシュウとは関わっています。
つまり、成長して学校へ通い、社会に出ていくなんて、
全く想像してないんですよね。
そんな中で、現実的に検討できるほど
特別支援学校へ行く可能性もあるだなと。
授業風景は、そう思わせるには十分な程に説得力を持っていました。
現実を受け入れるためには、まずは現実を知ることが必要だけど、
まだまだ僕には、時間の演出が必要みたいです。