友人の子どもが亡くなった
6月1日。
友人の子どもが亡くなりました。
シュウと同じ時期に生まれ、同じように重症新生児仮死児として、人生を歩み始めた子でした。
突然のお知らせでしたので、未だ頭の整理がつきません。
この友人とは弊ブログがご縁で知り合った方で、
どこに住んでいるのかも、名前さえも知りません。
だけど僕たち家族と同じように葛藤し、悩み、
そしてもちろん、子どもとの生活を楽しんでいるのだなと、直感的にわかる方でした。
僕にとってはいわば、同志でした。
シュウが生まれて間もないころ、死が同居しているような生活の中で、
日本のどこかで、同じような境遇、同じような条件のもとに、生活をしている方がいる、
そう思うだけで、とても心強かったの覚えています。
時より行う短いメッセージのやり取りは
暑中見舞いや年賀状のように、文章だけに止まらない気持ちが込められていて、
文面の節々に感じる子どもの成長は、僕自身も嬉しいものでした。
ほうほうそちらも順調ですか、こちらも元気でやっていますよと、
本当に他愛のないものなんですけどね。
ああ今日もお互い、子どもと過ごすことができたんだねと、
無意識のうちに喜びを共有していたのかもしれません。
だからこそ本当に残念でなりません。
1年という短すぎる人生に、子どもは何を思ったのでしょうか。
親は何を見出したらいいのでしょうか。
友人や亡くなった子どもに思いを馳せると涙が流れて来ます。
会ったこともないのに不思議ですよね。
だけど小さな命が消えてしまったのは事実のようです。
天国ではどうか、無邪気に遊んでいますように。
そして時より枕元まで、お父さんとお母さんに会いに来て欲しいな。
安らかにお眠りください。
ご冥福をお祈りいたします。