明治大学ヒューマンライブラリの登壇と、対話というコミュニケーションの一考察について

明治大学ヒューマンライブラリ2017に登壇します

11/26に開催される明治大学ヒューマンライブラリー2017というイベントに登壇することになりました。

yokotaseminar2017.wixsite.com

ヒューマンライブラリーとは、マイノリティ側に立つ人を「本」に見立て、参加者が読者となり「本」と1対1の対話をすることができるというイベントです。その中でkikuoは重度の脳性麻痺/医療的ケア児を育てる親として「本」となります。

要は対話を通してマイノリティを理解しようと試みるイベントです。ご縁がありまして今年の春先にお話をいただいたのですが、理解という活動に対して、非効率とも取れる1対1という対話を採用しているという手法にとても魅力を感じました。なぜ講演ではなく、文章の提出でもなく、対話に惹かれたのか、イベントの日程も迫ってきており、頭の整理もしておきたいので、ちょっと考えてみたい。

対話の効果

1対1の対話、言い換えると「口から発する言葉を基本にしたコミュニケーション」の最大の特徴は「発散」にあると思う。「発散」とは消えてなくなること。例えば「おはよう」と口にするとき、2文字目の「は」を声に出した時にはもう「お」は消えて無くなっている言葉だ。口から発する言葉でのコミュニケーションはこの連続である。一般的に消えてなくなることはあまり良いイメージはないのだが、こと対話に関して言えば「発散」はプラスに作用するように思う。お互いにコミュニケーションを取りたいという関係性なのであれば、話す方も聞く方も、消えて無くなってしまう言葉に集中するのは当然だろう。この集中こそが、深い理解に繋がる前提条件となる。

対話という形式も重要だ。

聞く側は話している内容に疑問が生じた場合、話す側にすぐに確認を取ることができる。したがって誤解は生じにくい。これが例えば講演会という形式であれば途中で話を止めることは困難であるし、講演後の質疑という形で可能性も残されてはいるが、状況を考えると深く話し合うことは現実的ではないだろう。

提出された文章を読む、つまりテキストのみのコミュニケーションというのはどうだろうか。疑問点を確認するという点において前者よりも劣るのは、火を見るより明らかだ。また行間にある想いを読み取るということに対しては、100パーセント読む側の脳に委ねられている。したがって読む人の立場によって、解釈が違ってくるのは当然である。

1対1の対話であれば言葉によるコミュニケーションだけでなく、身振り手振り、表情の変化、雰囲気の変化など、非言語の部分も受け取ることが可能だ。もちろん講話やテキストによるコミュニケーションにはそれぞれ利点はあるのだが、こと相手を理解するという点においては、対話に勝る手法はないのではないかと考えている。好きな人に想いを伝えようとする時、メールではなく体育館の裏に呼んで告白する方が気持ちは伝わるに決まってる。対話は濃厚なコミュニケーションを生み出す装置なのだ。

「理解する」とは既知の情報と新規の情報が繋がること

以前どこかのエントリで書いたと思うが、「理解する」とは自分が持つ知識、経験、情報と、今目の前で発生した新しい出来事や情報が頭の中で繋がることだ。

納得する、腑に落ちるでもいい。誰もが経験したことのある、ストンと自分に入ってくるあの感覚が生じる時を思い出すと、自分の経験に今目の前に発生した事象が繋がった時ではないだろうか。この感覚がないからこそ、つまり既知の情報と新規の情報が頭の中で繋がらないからこそ、障害者がいること、更に大きく言えばマイノリティという立場の人がいることは誰もが知っているはずなのに、理解にまでは至らないのだろう。

障害/マイノリティという分野について、多くの人は未経験だ。実体験としての蓄積は多くはない。だからその分野からのアプローチ、例えば専門的な言葉を使うことや、理解することは大事なことです!といったような道義的な方法論では、相手の持つ経験と繋がる可能性は著しく低くなる。したがって、理解を目指すのであれば、相手の持つ言葉で、相手が持つ世界の中で、障害/マイノリティということを伝えて行かなければならないのだ。

対話を通してお互いの接点を探る

ここまでのことを以下にまとめる。

  1. 口から発せられる言葉は発散するが故に、対話に集中が生まれる。その集中が深いコミュニケーションを生む土壌となる。
  2. 理解するとは既知の情報と新規の情報を繋ぐこと。情報を繋ぐには聞く側の持つ言葉で伝えなければならない。

話したい人がいて、聞きたい人がいる、という条件が揃っているのであれば、対話を通してお互いの情報を繋ぐことは可能だ。相手の言葉を聴き、反応を観察し、都度確認や質問する。時には笑い、時には悲しみ、感情を共有しながら、お互いの差を認識し、そして同じ部分に気が付く。ヒューマンライブラリの目的がマイノリティを理解するという点にあるならば、地道だけど確実な1対1の対話という形式はベストだと思ったし、それは常々kikuoが考えて方法論でもあったので、対話を主とするこのイベントに魅力を感じたのだ。

kikuoは「本」という立場であるため、自分のことを語らなければならない役割だと承知しているが、同時に読者の話もたくさん聴きたいな思っている。読者=社会が重度の脳性麻痺/医療的ケア児の領域の中で、どの部分に興味を持ったのかを把握することは、今後のシュウのため、同様の立場に置かれている子どもや家族のために何かアクションを起こす時に、重要な視点だと考えているからだ。この手の情報を欲するのは父というよりも、ソーシャルワーカーとしての立場だからこそのなのかなと思ったりするが、対話を通して社会との接点はどこにあるのか、探っていきたいなと考えている。

 

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以上、つーらつらと自身の頭の中を整理するためだけの文章を公衆の面前に晒し、いま満足感に浸っているわけなのだけど、「本」になるのはとても楽しみなんです。知らない人といきなり対話するってとても新鮮な体験ですよね。

 

あとこのイベントを主催している大学生の皆さんを観察していると、学ぶことも多い。普段の生活では触れることのできない価値観なので、自分は当時どんなんだったけ?と比較しながら関わると、自分はこの10年でどこが成長して、どの部分が足りないのかな、という点が見えてきたりする。『成長するには、価値観の違う人と一緒に仕事をしろ』と誰かが言ってたが、まさにその通りだと思う。

 

普段は人の話を聞くのが仕事なので、自分が話をする立場になった時にどのような変化が生まれるのか、その点も観察してみたいなあと思う。

 

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最後にシュウの写真。

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なんかポチョムキン人形みたい。

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プロフィール

kikuo_tamura

社会福祉士 / ソーシャルワーカー

H28年6月、重症新生児仮死にて長男が生まれたことから、医療的ケア児関連に特に興味があります。

趣味は登山、トレイルラン、キャンプ、子どもを追い回すこと。千葉県生まれ。
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【m.jiggler@gmail.com】