怒りについてのあれこれ
次女が4歳を迎えイヤイヤ期の真っ只中だ。
言葉もある程度理解できるようになり、
身体も思うように動かせるようになったということで、
何でも自分でやらないと気が済まない。
親が先回りして行ってしまったもんなら
「自分でやりたかったー!!」
こうなるともう手が終えず、泣き出し、子泣きジジイのように動かなくなる。
これらは自我の芽生えによる健全な発達の一過程なので
嬉しい限りなのだけれども、
自分に余裕がないときに騒がれてしまうと
つい、怒ってしまう。
怒られてさらに泣き出す次女を見て我に帰る。
「あ、またやちゃった」
最近この繰り返しだ。
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「怒りには期待が含まれている」
作家の村上龍さんがエッセイで書いていた。
そう言われてみれば確かにそうだ。
政府に対するデモも、労働組合が行うストも、僕の最近の態度も、
みんな相手に対して改善を求めている。
原発をやめて欲しいという期待、
労働条件を改善して欲しいという期待、
忙しい時は自分がやる!と自己主張してこないで欲しいという期待。
期待が根本にあり、怒りという行動に表れている。
では怒りが沸かないときにはどのような態度になるのか。
恐らくそれは「無視」。
しかし、社会にも企業にも、そして娘に対しても
「無視」というスタンスを取ってしまったら
こんなに悲しいことはない。
「無視」にはたっぷりとに「諦め」が含まれているからだ。
そう考えると、怒りもあながち悪いものばかりではない。
対話によって伝えることができればいいのだけれど、
怒りでしか気持ちを伝えられない時もある。
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相手を理解するには、
相手の怒るポイントを知るのが一番なのかもしれない。
HUNTER×HUNTERのミトさんもそんなことを言っていた。
そういえばヒーローの条件は「怒り」だと言ってる人もいたなあ。
PS
ああだこうだ書きましたが、怒らずに済めばそれが一番ですよね