障害児は親が保育すべき?社会を覆う価値観について
先日、障害児を育てる親の相談を受け付けている方から興味深いお話を伺いました。
氏曰く、『最近の親は主語が「子供」ではなく、「私」となる人が多い』。
つまり昔は、「この子の○○が心配だから、何かいい福祉サービスがないか」という相談が多かったのに対し、今は「私が仕事をしたいから、この子に対していいサービスはないか」という親が増えているというのです。なんか子どもが可哀想だよねと。
これを聞いて僕は、「障害福祉サービスが措置制度から契約制度に変わったから、親のメンタリティにも変化が出てきているのかな〜」などと、安易に考えていました。
しかし、よくよく考えてみると親とのやりとりから氏に生まれた感情の裏には、ある価値観が見え隠れします。
それは、『障害児は親が保育するべきだ』というものです。
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僕たち夫婦の子どもは、シュウの他にお姉ちゃんが2人いて、保育所へ通っています。どちらも6ヶ月から保育所へ預け、7:30〜19:00まで利用しています。まだどこかにいると聞く「子どもは親が見るべき」論者から言わせると、とんでもない子育て体制かもしれません。月齢6ヶ月の時期は母親との愛着形成が行われるから一緒にいてあげなさいとか、19時まで保育所を利用して、そこから自宅へ帰り夜ご飯の支度し始めたら、夕食は20時すぎるじゃないの!それでは健全な生活習慣は身につきません!!とか。野犬の遠吠えのように聞こえてきそうです。
ただ、世論としては、こういった生活習慣は一般的になってきているのも事実でしょう。日中、親は経済活動に勤しんで、そこで稼いだお金を土台に、休日や夜は子どもたちに愛情を注ぐ。子どもたちは保育所での集団生活を通して、多種多様な人間関係を学んでいく。基本的に子どもは社会が育てていくものですから、親には親の、お友達にはお友達の、保育士には保育士の役割があり、子どもへ与える影響がそれぞれ違います。そして当然ながら、それら全ては子どもたちの成長に欠かせないものです。
そう考えると、親が働いている間に子どもを保育所へ預けながら育んでいくというスタイルは、現代日本の社会状況を考えると理にかなっていますね。
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事実、高度成長期以降主流であった、子育ては主にお母さんが担う「サラリーマンの夫と専業主婦の妻プラス子供たち」というモデルは崩壊しています。実際、下記にあるように、専業主婦世帯と共働き世帯では倍近いく違っているわけです。
H26年 厚生労働省「厚生労働白書」より
共働き世帯が主流となった今、それら世帯を支えていかなければ経済が成り立ちませんから、保育所の数を増やし、利用時間を拡充し、という施策がどの自治体でも課題となっています。それは待機児童の問題を見ても明らかですね。
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さて、保育所の待機児童問題について、健常児であれば、少なくとも「待機すれば」いずれ解決します。一方で、医療的ケアが必要などの重度障害児の場合、「待機しても」問題は解決されません。なぜって、そもそも保育所と同じ時間数受け入れてくれる場所がないのですから。
子どもを健全に育むはずである保育所システムなのに、障害児と健常児で格差があるってなんか変ですよね。 ここから言えることは、冒頭で指摘した通り「障害児は親が保育するべきだ」という価値観が、社会には色濃く残っているということの証明でしょう。
先の親の話も、まずは自分たちの経済的基盤を整えなければ、経済的にも心理的にも物理的にも体力的にも何かと負担のかかる障害児を、健全に育てていけないという真っ当な主張だと思うのです。それを障害児の権利擁護しているのだと言っているかのように、主語がどうたらと言ってしまうところにとても違和感を感じてしまいます。しかもそれが福祉セクターの人からの発言というところが何とも悲しいですね。
こういった価値観をどう変化させていくのか。今僕ができることは、はてなや実生活をお通して正確な情報を発信していくことくらいですが、これからも小石を投げ続けたいと思います。
今日読んでいた本にとてもいいことが書いていありました。
言葉が認識を生んで、認識がアクションを生み、アクションが変化を生む
駒崎弘樹著【「社会を変える」を仕事にする 社会起業家という生き方】 p191より