息子に対して延命措置はしない、という決断について

心肺停止時は延命措置はしない、という決断を下した僕たち夫婦。

悩みながらもなぜこの結論にいたったか、理論的に考えてみたい。

 

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このエントリーは過去エントリーの続きです。

まだ読まれていない方は、こちらから読んでいただければ幸いです。

 

kikuo-tamura.hatenablog.com

 

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そもそもなぜこういった問題に迷いが生じるのか。

僕の中で論点は2つあった。

 

1、死の開始が明瞭に予想される場合、治療は無意味なのではないかという疑問。

2、意思表示ができない人のQOLを他人が判断することの是非。

 

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1、死の開始が明瞭に予想される場合、治療は無意味なのではないかという疑問。

 

まず治療とは何なのか、ということから考え、そしてそこから、無意味な治療とはいったい何なのか掘り下げてみます。

 

Wikipediaによると治療とは以下のように定義されています。

治療とは、病気やけがをなおすこと。病気を治癒させたり、症状を軽快にさせるための行為のことである 

しかしこの説明には少し違和感があります。治療の対象が「病気や怪我」になっている点です。病気や怪我を持っているのは、人です。人と病気は切り離すことができませんから、治療とは本来人に行うべきではないのでしょうか。医学的に望ましい治療であっても、患者のQOL(Quality Of Life 生命、生活の質)を低下させる場合があるという点も考えなければなりません。

そんな訳で僕なりの解釈を加えると治療とは、

 

『病気やけがを治すこと、それを通じでQOLを向上させること』

 

これが本質的な意味ではないかと思うのです。

 こう考えると、死の開始が明瞭に予想される場合、例えば、治療を加えても死ぬ場合や、治療すれば延命は可能だが予後が極端に不良である場合、治療の是非は問いやすくなります。。病気やけがなおすことは出来ませんし、疼痛コントロールQOL向上につながるのかどうか、疑問が残るからです。

 

わが子の状況を例に考えてみます。

嚥下障害により誤嚥性肺炎のリスクは高く、予備力もありません。体調不良により致死的になる可能性が高いと主治医ははっきりと言っています。また、重症新生児仮死で産まれ嚥下障害もあると、治療を施しても元の状態までには戻らず、緩やかな下降を繰り返し、やがて死に至ることが多い、という話もしていました。

つまり、心肺停止時に蘇生処置を施してもQOL向上はないと言えます。そういった意味で、心肺停止時の治療は無意味なのではと思ったりするのです。

 

誤解のないように更に詳しく書きます。

まず、体調不良、即心肺停止ではありませんん。両者にはすごく大きな差があります。が、体調不良のその先に心肺停止があるのも事実です。また、うちの子のようなハイリスク児が体調不良になった時、施される治療が無意味と言っているわけでもありません。あくまで心肺停止時に蘇生させても、です。つまり、体調不良が続き、その先の終着点である心肺停止まで来てしまった場合、元の元気な状態まで戻ることのできない者への治療は延命に過ぎず、QOLの向上はないのではないか、ということです。

 

しかし、ここで疑問が残りました。治療はQOLの向上を目指す行為だということはまぎれもない事実だが、誰が評価するのか。「質」とは本来とても主観的な評価ではないのか、という点です。これが2つめの論点、意思表示ができない人のQOLを他人が判断することの是非です。

 

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2、意思表示ができない人のQOLを他人が判断することの是非。

 

まず始めにQOLの定義を再確認してみます。

WikipediaによるとQOLとは以下のように定義されています。

ひとりひとりの人生の内容の質社会的にみた生活の質

ここで一つ大きな気づきがありました。それはQOLというのは主観的な評価だけではなく、社会的な評価も含まれるという点です。できれば両者のバランスが取れていることが望ましいと思われますが、どちらか一方でもその絶対値を高めればQOLが高いと言えるのではないか、そうであるならば、意思表示ができない息子ののQOLを僕たちが判断することも可能なのではないか。そんなことを考えました。

 

以下、混乱しないようにQOLの定義を前半と後半に分けて考えていきます。

 

■ひとりひとりの人生の内容の質

わかりやすく言うと、自らの理想とする生き方に沿っていたかかどうか。つまり主観的なものだと考えられます。自分の人生は自分で決めるものですから、その価値判断は自分の中にあって然るべきです。生活水準に差はあるかもしれませんが、その質は主観的なものなので、他者と比べることは無意味です。

この点息子はどうでしょうか。

乳幼児ですから、まだ自己と他者の区別はできていません。感情も快不快くらいしかありません。そもそも主観というのは、生まれ持った気質と周囲環境からの刺激が合わさり脳の発達とともに形成されていくものなので、現時点で自らの理想があるとは考えられません。つまり、この部分は測定不能です。

 

■社会的に見た生活の質

これは明らかに客観的な評価でしょう。息子にとって一番身近な社会とは家族でから、その構成員である我々が質の高いQOLを提供すればいいだけです。そうすれば自ずと社会的な評価はついてきます。

 

以上より、主観的なQOL評価は難しいが、社会的に見たQOLの評価は可能なので、後者の絶対値を高めていけば、意思表示ができない息子のQOLが高いと言えるのではないか。家族としてそこに希望を見出したわけです。

 

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まとめます。

治療とはQOLを向上を目指す行為であるため、息子の状況を考えると心肺停止時の蘇生処置は治療とはいえない。故に心肺停止時は延命措置は希望しない。しかしそこに至るまでの過程の中では家族として息子自身のQOL向上に深く関わることが可能なので、そちらに注力する。それが僕たち夫婦が出した答えです。

 

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冷静さを気取ってますが実際のところ息子の生き死に対してこんな機械的に理論を深められる訳はなく、夫婦で話し合った結果に理論を肉付けていった、そんな感じです。

 

簡単に言うと、僕と妻とお姉ちゃん2人が息子を新しい家族として普通の赤ちゃんのように迎い入れて、お家で一緒に暮らしていけばいい。それだけの話ですよね。お姉ちゃん二人にも抱っこやオムツ交換もしてもらって、きょうだいでお風呂に入ったり、公園へ遊びに行けばいい。友達もたくさん呼んで、だっこしてもらったり、育児の苦労自慢したり。本当普通の生活です。こんな当たり前の答えにたどり着くのに、一ヶ月以上もかかるなんて息子に申し訳ないな。

 

長期間病院で一人にさせるのは不憫すぎる、早く一緒に生活してあげたい。そう思っています。そしてあわよくば息子の魂も、僕らと同じ気持ちであってほしいなと、そう願っています。

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プロフィール

kikuo_tamura

社会福祉士 / ソーシャルワーカー

社会福祉法人 松の実会 評議員 / NPO法人 こども子育て・発達支援研究会 監事

H28年6月、重症新生児仮死にて長男が生まれたことから、医療的ケア児関連に特に興味があります。

趣味は登山、トレイルラン、子どもを追い回すこと。1985年千葉県生まれ。
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【m.jiggler@gmail.com】