ナイツのちゃきちゃき大放送に救われた話
長男のシュウは今日9月10日で3か月を迎えました。いや、迎えることができました、の方が正しい表現かもしれません。
地域のクリニックで出産予定だったのが胎児の様子がおかしいということで大学病院へ救急搬送され帝王切開、その後すぐにNICU(新生児集中治療室)のある病院へ再度転院となりそこで治療を受けることになります。胎動が少なくなったことから始まった不調は心肺停止にまでなり、重症新生児仮死として生を受けました。6月10日(金)の20時頃から始まったお産にまつわるあれこれで、わずか6時間弱の間に2回も転院を行い、救急車を追いかけるように僕も移動し、本当に息つく暇もありませんでした。
シュウの容態について先生から詳しくお話を聞けたのが、翌11日(土)の朝9時ころだったと思います。疲労と寝不足の中聞く話は半ば夢のようで、でもこんな時間に病院にいる事実、四肢に繋がれた点滴、挿管されている小さな口、リズムを刻む電子音、時折アラーム音、命を数字に換算され「生かされている」シュウの姿を見ると、これは現実なんだなと、そう思わされるには十分な要素が目の前に転がっていました。
--------
入院の準備をするため自宅へ戻る車内にて、聞こえてきたのがTBSラジオ『ナイツのちゃきちゃき大放送』でした。
人間の多面性には本当に驚かされるもので、息子が生きるか死ぬかを彷徨っている状況下でも、『笑う』という感情が生まれてくるんですよね。塙さんのひょうひょうとした語りに対して優しく突っ込む土屋さん。二人の掛け合いは関西芸人みたいにギザギザしていなくて、滑らかで、その滑らかさは当時の僕とって本当に救いでした。
先ほど現実を思い知ったと書きましたが、正確には「日常の中にある非日常」を彷徨っており、自分が主体性のある人間として目の前にある達成すべき課題を解決できない状態であったように思います。ふわふわして地に足つかない感じです。それがナイツの掛け合いによって、非日常の中で「笑い」という日常に普通にある感情を感じることによって、日常に戻ってくることができた。正確には「非日常が日常になった」という表現が正しいのかもしれない。いずれにせよ今起きている現実を冷静に考えるためのスタート地点に立つことができたのです。そう言った意味で、このラジオ番組に携わっているナイツを始めTBSラジオの皆様には本当に感謝しています。
そんなことを思い出した3か月誕生日、9月10日(土)の9時でした。