帰省日記②俱会一処、コミュニケーション
お墓参りした際、石碑には『〇〇家之墓』ではなく『倶会一処』と刻まれてるいることに気付いた。読み方は『くえいっしょ』。はてどういう意味だろうか。ご先祖様はどんな想いを込めて、この言葉を彫ったのだろうか。気になって調べてみた。
wikiによると、
先に浄土に往生している先祖たちと、共に同じ浄土に生まれたいと思う心持ちを表したものであるし、また同じ浄土へ往生させていただくことを喜ぶ姿でもある。
とある。あちらの世界に行っても先に亡くなった家族とまた出会えるようにという願いが込められているようだ。
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提灯を出して迎え火をし、墓参りを行い、送り火をする、という一連の行為。一年に一度行われるこの伝統は必然的に、世代を超えたコミュニケーションを生み出している。畑仕事、薄暗い廊下、海が身近な暮らし、子どものたちは祖父母の生活という非日常を味わい、祖父母は孫の一年分の成長に目を細める。考えてみると我が家の場合、夏季に長期の休みが取れるから、という理由だけで帰省する訳ではなかった。少なくとも父の中にはお盆が先にあり、それに合わせて休みを取っていたように思う。父はそのような人だったから、僕もそのようになった。実家に入るとまず始めに仏壇に挨拶をするという姿も、妻にとっては珍しかったらしい。
お盆がなかったら、700km近く離れた土地にわざわざ行くだろうか。自分が父になってみてふと、そんなことを思った。
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初めてシュウと生活を共にした祖父母。
喀痰吸引、経鼻経管栄養、サチレーションモニター、看護師からの体調確認の電話。日常的にどのような体調で過ごし、どの程度のケアが必要なのか、お姉ちゃんとの関わり、重度の障害を負った子を育てる父と母の心情、抱っこした感触、重さ、伝わる体温や筋緊張。生活を共にするとそれらシュウに対する説明は必要ないようだ。PICUでの姿しか見ていない祖父母にとって、彼に対する認識は大きく変わったようにみえる。健常や障害といった枠を超え一人の乳幼児として、つまりお姉ちゃんたちと同じく自分の孫として、関係を築きはじめる姿がとっても嬉しかった。
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『倶会一処』
もしかしたらこれは、残された家族に集まる理由を与えるため、ご先祖様が残してくれたことばなのかもしれないな。
kikuoが子どもの時に来ていた浴衣を仕立て直し、甚平を作ってくれた。
8月にコタツて!