言葉と人間。パラリンピックのCMがめちゃくちゃ格好いいー2
今回はリオ編です。
We're The Superhumans | Rio Paralympics 2016 Trailer
軽快なリズムと映像にのせて繰り返される「YES, I CAN」の歌詞。
演奏するビックバンドは今回のために結成された「The Superhuman Band」
メンバーは全員、身体に障害がある。
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障害のある人が「YES, I CAN」と歌う演出は、安易だと批判を受けるかもしれない。しかしその考え自体が偏見のある意見だ。動画を見ると、チャレンジする姿勢に障害も健常も関係ないことがよく分かる。日々トレーニングに精を出して最高のパフォーマンスを出す姿は、情熱大陸で特集されるようなオリンピアンとなんら、変わりはない。そう理解できる内容に仕上がっている。
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東京大学の名誉教授で解剖学者である養老孟司さんは著書*1の中で、「不変なのは情報、人間は流転する」と書いた。その意味は、情報は言葉として残る。故に変化しない。他方で人間は、日々様々な環境因子により影響を受け自己を変化させている。また肉体的にも成長なり老化なりしている。よって人間は絶え間なく変化していく。と僕は解釈している。平家物語の書き出しに「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり」とあるのはこのことを指しているのだろう。同じ情報でも、その時々で受け取り方が違ってきて当然なのだ。
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日本には古来より言霊という考え方がある。
wikiによると
日本において言葉に宿ると信じられた霊的な力のこと。(略)声に出した言葉が、現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良いことが起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた 。
とある。アスリートの中にはスタート前、俺はできる俺はできると、自己暗示をかける人もいると聞くが、それも一種の言霊の力を借りた儀式だろう。発表会の前に手の平に「人」を書いて飲め!なんてのも根本は同じだ。言霊と聞くと新興宗教??と怪しんでしまうが、日本人にとって実は、身近な考え方なのだ。
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流転しない情報=言葉、変化していく人間、そして言霊。これら3つの意味を考えると、言葉に人間が合わせるということも往々にしてあるのかなと思えてくる。
ここはパワースポット!行けばご利益がある!!という類の安易にスピってる考えは好きにはなれないが、その裏に実は、言葉と人間の関係性の本質があるのだろう。
壁にぶつかったとき、「YES , I CAN」とまずは口に出してみることからチャレンジは始まるのかもしれない。