働くことに理由はいるのか
人はなぜ働くのだろうか。
生活するためのお金を得るためだろうか。
人と繋がるためだろうか。
自己実現するためだろうか。
商品やサービスを通して社会貢献するためだろうか。
そもそも理由なんてあるのだろうか。
多くの人は「働く理由」について突き詰めて考えて、明確な理由を持ち合わせていないだろう。なぜ働いているのかと問われてズバッと即答できる人は珍しい。
この事実から考えるに、履歴書に書かれるような表面的な理由はそれぞれあるにせよ、本質的には働くことについて理由はいらない(求められていない)のだろう。
働きたいと思えば、それが働く理由になるのだ。
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「本当は復職したい」
今日来てくださった看護師さんに、妻が本音を漏らした。
「なぜ働きたいの?」
そう返ってきたという。
今まで現場でバリバリ働いてきた妻は、自分の仕事についてとてもやりがいを感じている。お姉ちゃんたちも六ヶ月から保育所へ預け復職していた。六ヶ月で復職することについて賛否両論あるみたいだけど、少なくとも僕たち夫婦は子どもは社会が育てるものだと思っているし、親では与えられないものを、保育所の先生やお友達が与えてくれると確信していたので、特に悩むことはなかった。今当時を振り返ってみても、その決断に間違いはかったと自信を持って言える。
「なぜ働きたいの?」
この一言は、「医療的ケア児を育てるのに必要な要素は、基本的には親だけで用意すべきでしょ」、別の角度から言うと「医療的ケア児を育てるコストは基本的には親だけが負担すべきでしょ」という前提のもとに成り立っている。その上で、高リスクの子どもを預けてまで(といっても選択肢すらないのだが、、、)復職する理由は何なのか、と問いているのだ。訪問看護師という相対的に親の気持ちを理解しているであろう立場の人からこういった発言が出るのは少し悲しくなる。
医療的ケア児を育てる親はいつも葛藤している。
子供の成長のこと、将来のこと、それらを支える上でとても重要な経済的なこと、、、。現実的に復職が難しいことは重々承知している。しかし、そう簡単に割り切れるわけがない。
働きたい、という本音すら漏らしてはいけないのだろうか。
なぜその理由をいちいちプレゼンしなければならないのだろうか。
医療的ケア児を育てるだけでもとてもコストがかかるのに、追い討ちをかけるように社会が更なる障壁になるって絶対おかしい。
特別児童扶養手当も障害者控除も各種助成も何もいらないから、全ての子どもが等しく保育や教育の機会が確保されて、親も働けるようになる社会となることを強く望みます。
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と、こんな強めのエントリしててもしれっとしてるシュウときたら!
この人に罪はありませんね〜