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コミュニケーション装置としてのTV、コミュニケーションとはなぞなぞのようなもの?

LIKE@cafe準備委員会

子どもが生まれてからテレビをみるようになった。

 

それまでは一方的に流され選択肢を与えられない感じや、TVで放送されているということは、扱うテーマが素晴らしいものでもその裏に製作者やスポンサーの意図が隠されていることで、なんだか騙されたというか操られている気がしてしまって、中学校卒業以来、ほとんど見なくなった。

 

日本でTV放送が始まる前(1950年代より昔)、娯楽を得るためには移動が必要だったように思う。例えばそのころの大衆娯楽と言えば、プロレス、相撲、プロ野球だったけど、それを楽しむにはそれぞれが開催される会場へ行く必要があった。子供たちも然りで、駄菓子屋へいく必要があったし、ベーゴマ、メンコ、缶蹴りを行う空き地を必要としていた。

この状況をTVが変えた。

TV放送の開始は家に居ながらにして、娯楽を消費できるようになった。居間へ移動さえすれば娯楽を得ることができたし、他の選択肢も限られていたため、人気が集まるのは当然だろう。紅白歌合戦の視聴率が80%を超えていたのも、当時の社会状況を考えるとうなずける。

 

現在、娯楽としてのTVにはライバルがいっぱいだ。一家に一台PCがあり、誰もがスマホを持つ時代、それぞれの都合に合わせて娯楽を消費できるため、移動を伴わない娯楽として絶対的な存在だったTVが、選択肢の一つになってしまった。スマホが一台あれば、居間やリビング(正確には同軸ケーブルが引かれている場所)である必要もなく、場所も時間も制限されることはない。昨今はTV離れが叫ばれてて、その理由によく番組の質の低下が挙げられるけど、もっと相対的なものなんじゃないかなあ。

 

そんなライバルがたくさん増えてしまったTV。もちろん僕の家にはPCもあるしスマホも携帯しているけど、なぜ子どもが生まれてから見るようになったんだろう。

 

考えられる理由は、TVを「家族のコミュニケーションツール」として使っているということ。

人間のコミュニケーションは能力は非言語によるもの(映像、音など。)から発達していくけど、6歳、4歳にもなると言語のコミュニケーションも活発だ。TVから流れてくる映像、音だけではなく言語も理解するから、番組を見ていて、笑い、楽しみ、怒り、悲しんだりすることが多くなった。Mステに嵐が出てきた時にはイケメンだイケメンだと騒ぎパフォーマンスに目が釘付けになるし、千と千尋の神隠しの終盤で銭婆とカオナシと坊が千尋のために髪飾りを紡ぐシーンでは「この場面がいいんだよね~」としんみりしたりする。そんな子どもたちの姿を見て僕と妻は「何がイケメンだよ、ケッ」と毒づいたり「ママはニノが好きだなー」とコミュニケーションが始まる。夏木マリ(銭婆役)の名演には「千尋とハクはイマイチだけど湯婆婆と銭婆はハマってるよね」と声を合わす。シュウはTVの前でゴロゴロしていて、「シュウちゃんはイケメンの中で誰がすきなのー?」とお姉ちゃんたちが話しかけたりしている。

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PCやスマホという比較的小さなディスプレイを通してでは、または個人の趣味嗜好に特化しつつあるインターネット上のコンテンツでは、このような家族を巻き込んだコミュニケーションは産まれない。TV番組をコミュニケーションツールとして捉えれば、まだまだTVの伸びしろがあるんじゃないかなー。

 

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コミュニケーションツールとしてのTVということを明確に意識している番組がある。

「生放送 月刊きょうの料理」だ。

www.nhk.or.jp

僕が見たのは60周年スペシャル盤。番組ではツイッターと連動して画面上に生の声を表示させるという特徴がある。ツイートでは平野レミさんのドタバタ劇突っ込んだり、それをコントロールしつつ番組を進行させようとする谷原章介さんを応援したり、逆にリクエストツイートに応える形で視聴者と出演者がコミュニケーションしたりと、立場の垣根がなく全員で番組作りに携わり、それを友人や家族と一緒に観ている気分になる。

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視聴者の生の声を表示させるという手法は10年以上前からニコニコ動画が始めたものだけど、それに視聴者と出演者とのやり取りもプラスされている。一人で見ているのに孤独感を感じないという意味ではラジオのようでもあり、とても満足感の高い番組だった。

 

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人はなぜコミュニケーションを求めるのか、根本的な理由はよくわからないけど、ほぼすべての人がそういう性質を持つ以上、コミュニケーションってなんだろう?という疑問は常に持っていたい。医療的ケア児を育てる家族が気軽に集まれるカフェのようなwebサイトを作ろうとしているのであれば尚更だ。

 

少なくともコミュニケーションが産まれる前提条件は、自分以外の誰か(何か)が必要で、かつ双方向でなければならないよね。

でも、答えを与えるだけではコミュニケーションは生まれないし、難解な数式を提示してもそっぽ向かれるだけ。逆にとても簡単な問題、例えば大人に対して九九の問題を出しても、思考を巡らすこともない。つまり双方向にはならない。そういった意味ではコミュニケーションってなぞなぞのようなものなのかもしれないなあー。

 

 

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プロフィール

kikuo_tamura

社会福祉士 / ソーシャルワーカー

社会福祉法人 松の実会 評議員 / NPO法人 こども子育て・発達支援研究会 監事

H28年6月、重症新生児仮死にて長男が生まれたことから、医療的ケア児関連に特に興味があります。

趣味は登山、トレイルラン、子どもを追い回すこと。1985年千葉県生まれ。
ご意見、ご連絡はお気軽に下さい。とても励みになります。
【m.jiggler@gmail.com】