障害児ときょうだい、そして親
子どもの一言にハッとさせられる。
人生経験なら僕の方が格段に上で、
経験も、知識も、知恵も、全て上回っているはずなのに。
なぜこんなことが起こるのだろう。
思えばお姉ちゃんたちが初めてシュウに会った時、
一言めが「ちんこ見せろー!」だった。
身体がチューブに囲まれていたNICU時代に、である。
シュウの将来について、説明した時もそうだった。
「シュウちゃんはずっとベットで寝てることになるんだ」と伝えると、
「いいなー」と羨ましがっていた。
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親は子どもの将来を想像する。そして期待する。
健康な身体があれば、選択肢は無限にある。
しかし、シュウのように条件を背負って生まれてきた子どもは、
選択肢は限られて当然だ。
だから親は悲観するのかもしれない。
お姉ちゃんたちは想像しない。
感情に忠実で、今を全力で生きている。
目の前の現実を、ありのままに表現するのはそのせいだろう。
将来を想像し、その未来をもとに今を生きていくのはある意味当然だ。
しかしそうすることによって、今大事なことを見えづらくしてしまう時もある。
そう、シュウは可愛いのだ。
わかっているけど、改めて認識させてくれるお姉ちゃんたちの一言一言は、
僕を親へと成長させてくれる。
親は子供を産んだ時に親になるのではない。
子どもと共に、親へと成長していくのだ。