社会的入院を抜けて、地域生活へ移るために必要なものは
「いやー長かった。病院生活は本当に退屈でしたよ」
久々の外出で気分が高揚しているのか、いつもより饒舌です。
入居する部屋はまだ新しく、生活感がありません。ここでどう過ごそうか、イメージをトレースするように、ちょこちょこと動き回るAさん。おもちゃを買ってもらった帰り道、開けるのは家に帰ってから!と注意される子どもみたいに落ち着きません。
長かったAさんの入院生活は、終わりを告げようとしています。
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皆さんは社会的入院という言葉をご存知でしょうか。
Wikiによると、
つまり入院治療は必要ないんだけど事情により退院できない状態を指します。
Aさんは3年近く社会的入院が続いていました。
Aさんは事故の後遺症で、両下肢が完全に麻痺、車椅子生活を余儀なくされています。単身者で親も高齢、きょうだいとも疎遠ということで、退院するには入所施設しか選択肢がなく*1、その施設探し等の退院サポートという役割で、僕は関わるようになりました。
千葉県内の身体障害者を受け入れてくれる施設及び他県にも手を広げ、50前後の施設に電話したでしょうか。しかし、返ってくる返事はどこも同じ。「申し訳ありません。満床です」。7~80人の待機者がいるという施設もあるほどでした。それくらい、障害者の入所施設は慢性的に、満床が続いているのです*2。
そんな中でも、2か所、相談に乗れますよと言ってくださる施設が現れました。急いで情報提供書を送ると、どちらの施設も「申し訳ありません。受け入れできません」との返事。
理由はAさんの経歴にありました。
Aさんには覚せい剤使用歴があり、両下肢の麻痺となった理由は、マンションからの飛び降り自殺によるものだったからです。
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覚せい剤、自殺未遂、そんな背景がある人と積極的に関わろうという人など、福祉の政界でもそう多くありません。先の入所施設の判断も、ある意味妥当だなと、冷めた自分がいます。一方で、なんで分かってくれないんだと、憤慨している自分もいます。
覚せい剤に関しては、薬物依存リハビリ施設へ入所し、プログラムも終了しています。もちろん現在は禁断症状もありませんし、薬は抜けきっていると、医師は断言します。自殺未遂にしても然り、入院してからは自殺してしまうほどの抑うつ状態になることもなく、医療からのアプローチは終了しているといいます。リスクがない根拠は揃っているのです。
そもそも医療の後ろ盾がなくたって、Aさんと会って、少しお話しすればよくわかります。過去を悔い改めて、退院への希望に燃えています。少しでも出来ることが増えるように、リハビリにも積極的です。歩んできた道について、社会のせいにするわけでもなく、誰に文句言うわけでもなく、腐らずに今を生きています。そういう気持ちにこたえるのが福祉じゃないのか!と、僕自身も理想と現実の間で揺れる時間を過ごしました。
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希望が見えたのはつい2か月前のこと。
県内の施設にはオレオレ詐欺よろしく片っ端から電話しまくっていて、何かあると足を運び、Aさんのことを検討してほしいと頭を下げていました。その熱意が通じたのか、ある法人から新規開設の情報が入ります。
法人の代表はもともと介護職として病院勤めをされていたのですが、その病院には産まれてから一度も退院することなく、30年以上(!)病院で生活している方がいたそうで、こういった社会的入院に疑問を感じたことがが福祉事業所を立ち上げたるキッカケだったと話していました。Aさんの経歴を話しても、まずはお会いしましょうと時間を設けてくださいました。Aさんの経歴ではなく、今を見てくれる度量のある法人に出会った瞬間でした。
ここから先は、石ころが坂道を転がるようにことが運び、来月中には退院できる目途がつきました。退院したらみんなが寂しがるなと照れ笑いを浮かべるAさん。さっさと退院しなさいよと小突く看護師。その関係性をみるだけで、病院内でどれだけの時間を過ごしてきたのかが見て取れます。良くここまで耐えましたね、Aさん。
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なぜ入院が長期化してしまうのか。
Aさんとの関りを通して見えた答えは、ハコよりも意識に問題があるということです。
障害者の住まいを考えるとき、入所施設やグループホームなどの社会資源が少ないから自立が進まないのだとよく言われます。確かに受け皿はまだまだ不足しているのですが、探せばあるんです。Aさんの場合もそうで、入所施設はあったんです。しかし、退院にはならなかった。そこには意識の壁が存在しました。覚せい剤、自殺未遂から連想されるイメージが先行し、現在のAさんまでたどり着きませんでした。
その点を考えておかなければ、川下の空き缶を拾うだけで満足してしまうような仕事になってしまいます。もちろん目の前の空き缶を拾うのも大事なのですが、川上で誰がポイ捨てしているのか というところまで意識しておかないと、根本的な解決にはなりません。いくら公がハコを作っても、第二、第三のAさんは現れ続けます。
ハコと意識の両輪で仕事をしなければならないなと、そんなことを考えさせられた、2年間でした。Aさん退院おめでとう!