お産のトラブル解決に親が求めること
今まで積ん読していた【お産SOS 東北の現場から】を読了しました。出産時のトラブルによりシュウは重度の脳性麻痺となったため、実際のところ他のお産はどうなっているのか、客観的な事実が知りたかったため購入。産科医の視点、研修医の視点、助産師の視点、母の視点、実際のデータと様々な切り口でお産にまつわるエトセトラを描いており、データは若干古いのですが、なかなか良いルポルタージュでありました。その中でも特に気になるトピックスであった、産科医療の訴訟について、親は何を求めているのか、自分の実体験も交えて描いてみます。
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シュウのように先天性の異常がなく、経過も安定していて、純粋な出産時のトラブルで脳性麻痺になった時、親の感情が医療機関へ向かうのは理解できます。異常は感じられなかったのか、もっと早く帝王切開の判断ができなかったのか、、全てが医者の指示により動いていくため、ある意味仕方ないのかもしれません。
当然僕たち夫婦も、医者が下した決断について、本当に妥当性があったのか、この結果は避けられる可能性があったのではなか、などともやもやした期間を過ごしました。最初から、訴訟、という道を否定しなかったのも事実です。
結果的に、訴訟という道は取りませんでした。
今では病院に対して、生きてシュウと会わせてくれたことに感謝しているし、生活しているうえでシュウのことで悩めること自体幸せなことなんだなとも思うようにもなりました。しかし、この判断は本当に紙一重だなと実感しています。その理由はどこにあったのでしょうか。
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本の中で、医療訴訟を専門とするある弁護士はこう語ります。以下p226より引用。
多くの被害者は、原状回復、真相究明、反省謝罪、再発防止、損害賠償の5つの願いをもつ。その中でも、亡くなった人を返してもらいたい、障害を治してほしいという原状回復の願いが最も強い。
僕たち家族が被害者といえるかは別として、この指摘はまさしくその通りで、僕たちも現状回復を一番に望んでいます。家族5人で、お家で、ダラダラ過ごすことができたら、こんなに幸せなことはないでしょう。
しかし、はっきり言ってこれは期待できません。一度傷ついた脳は修復することはないからです。
現状回復が見込めないと理解した中で、僕たちが次に求めたのは、真相の究明でした。あの時、シュウはどのような状況にあったのか。病院は何を根拠に、一つ一つの行動を選択していったのか。そして、それは客観的にみて、妥当性があったのかどうか。それがわかれば、事実を受け止める準備が整うのではないかと、そう考えました。
複数回、病院との話し合いの場を設けました。率直に、病院の対応について不満を持っていることもぶつけました。胎動データも出してもらって、それに合わせてどのような行動を病院は取っていたのか、そしてそれは何を基準にした行動だったのか、何度も説明を求めました。
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この一連の病院とのやり取りの中で、真相究明、についての欲求は満たされました。同時に、反省(謝罪)、再発防止も満たされました。はもちろん、もっと判断が早ければ、、、と思うこともあります。しかし、全国的に産科医師が不足している現状、搬送時に確認した他病院のベットの空き状況、そして夜間という時間帯で配置が手薄等を鑑みると、医師が下した判断は妥当性があるもだったのでしょう。つまり、日にち、時間帯が違っていれば結果は変わっていた可能性は(当たり前だが)否定できないのですが、あの状況下では誰であっても結果は変わらなかったのではないか、と納得できたわけです。説明する医師の説明態度は若干鼻につきましたが、おそらくそれは彼の性格の範囲内で、僕たちの話を聞きながら涙する姿に、日々葛藤しながらも何らかの決断をしていかなければならない姿が投影されていて、同情と尊敬の気持ちも芽生えました。医師の中で訴訟リスクが一番高い産婦人科医*1をあえて選ぶその心意気に、感服したのも事実です。
医師になぜ産婦人科の道を選んだのか伺いました。
「訴訟のリスクは承知しています。でも、その怖さも含めて、お産に関わりたい。新しい命の誕生に立ち会いたいですから。」
なかなか胆の据わった先生でした。
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医者と患者にはどうやったって情報の非対称性が存在してしまいます。だからこそインフォームドコンセントであったり、セカンドオピニオンであったりが叫ばれるんでしょうけども、現場ではまだまだ医師が説明した気になっただけで、患者がきちんと理解していないケースも多いように思うのです。事実、医療トラブルで寄せられる相談のうち、半分は患者の思い込みだと言います*2。
シュウのように病院側に特に過失がない場合、僕たち親が求めているのは丁寧な説明です。納得いくまで説明して欲しいし、理解できるまでかみ砕いた語彙で話をして欲しい。それらが達成されれば、現実を受け入れる準備が整うと思うのです。どんな親だって、自分の子どもは可愛いのですから。
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