息子の魅力。重症新生児仮死児が与えてくれるもの
在宅生活へ向けて部屋の片付け中、お姉ちゃん達の育児日記が出てきたので読み返しています。
内容は本当に微笑ましくて、おっぱいを飲まないとか夜泣きをするとか、そんな他愛のないものばかり。
忘れていたエピソードもたくさん書かれていて、
例えば、
「おやつ中に怒られて、大好きな歌舞伎揚げを食べないというささやかな抵抗をした」
「誕生日ケーキを選びに行って指差したのがザッハトルテだった」
「初めて覚えた言葉がヌーだった」
その時の状況が昨日のことのように目に浮かんできて思わず頬が緩んでしまう。
湯婆婆が「一度覚えたものは思い出せないだけで忘れたわけではない」と言っていけど、
日記は覚えたものを思い出すいい装置になりますね。
数年前の自分たちにナイス!と言いたい。
今の悩みは全く性質の異なるもの。
命とか生きる意味とか、facebookのタイムラインで流れてきたら思わずスルーしたくなるような重いものばかりです。
でもお姉ちゃん達の時と同じように夫婦で協力して答えを出していくという過程に変わりはなく、なんというか、息子が、日々の移り変わりを通して、僕と妻を親にしてくれるんですね。
人生を通しても関わることのない問題だから、新しい価値観も与えてくれる。
31歳にして、親として、人間として、成長が止まりません。
こんな経験をさせてくれるのが息子の魅力だなと、過去の日記を読み返して考えたりしたのでした。
セミが朝から鳴いていて聴取を目的としないBGMと化しています。
今日も暑くなりそうですね。
皆さまくれぐれも体調を崩さぬようにお過ごしください。
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