なぜ障害者理解をテーマにしたのかを考える
僕は建築業界からフリーター、ニートを経て、福祉業界に入りました。
理由は簡単、『若いだけで引く手数多』だったから。
そういった大した志もなく、ある意味期待も偏見もない状態で入職し、しかもリーマンショック後の建築業界を経験している僕にとっては、福祉の世界は驚きの連続でした。
例えば、日中に野菜作りをしたりするのですが、特に生産数が決まっているわけではなく、何となく土いじりをしている(ように見える)。
また、配属先が就労継続支援B型という比較的軽度の、つまり基本的には身体的な介助が伴わない方が通う施設だったため、正直言うと職員は遊んでいるようにしか見えなかったのです。
この点は、福祉の世界は『結果よりも過程を重視する』傾向にある(このへんは後日書きたいと思います)ということに違和感を感じていたからこそなんだなと、今振り返ると思うわけですが。
ただ、知的障害者と関わるのはとても楽しかった。
それはなぜかというと、期待を裏切るからです。
米国の社会学者ゴッフマンは著書の中で、「われわれは普通、最初に目につく外見から、彼のカテゴリーとか属性、すなわち<社会的アイデンティティ>を想定することができる」と言っていますが、まさにその通りで、想定された社会的アイデンティティから期待される反応を基にコミュニケーションを取っていると思うのです。
つまり、人はコミュニケーションをとる際に、概ね相手が返してくる反応を予想しており、その範囲の中でコミュニケーションをしている、そんなイメージです。
その範囲を超えると、もしくは社会的アイデンティティを想定できないと、感動や混乱が起こると思うのですが、僕が感じた知的障害者とのコミュニケーションはそれに近かった。(僕の場合は前者だったからよかったのかな。。)
例えば、西暦日付をいうと即座に該当する曜日を答える方がいたのですが、予備知識がない分、感動してしまうのです。(サヴァン症候群だと知った今でもやっぱり感動してしまうのですが。。)
そんな訳で、彼らと関わることが、楽しい!と素直に思えたのでした。
しかし関わっていくと、僕が把握した彼らの現状と、社会の認識にズレがあるのだと気付きました。
例えば彼らと外にでると、電車に乗ると、明らさまに嫌な顔をしたり、避けようとしたりする人さえいます。
このズレが発生するのはなぜなんだろう。関われば面白いやつらだと分かるのに。
自分の好きなものが相手に理解されないと、なんだか寂しくなりますよね。理解されないだけならまだしも、嫌悪感さえ抱かれたら。。。他者に理解してもらうのを放棄するか、粘り強くプレゼンしていくのか、どちらか2択になるはずです。僕はプレゼンを選び続けています。
ここが僕の原点です。
以降、このズレを解消するため、つまり障害者を理解するためには何が必要なのが、日々考えるようになりました。
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- 作者: アーヴィングゴッフマン,Erving Goffman,石黒毅
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