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特に実のない話

「書を捨てよ  町へ出よう」

寺山修司は書いた。

表面的に見れば「本なんか読んでないで外出なよ」だけど、

これを本で書いている点を考えると寺山修司の主張は

「本の世界だけでなく現実の世界も体験せよ」なのだろう。

彼らしい、ねじれた表現である。

 

所用で東京法務局へ行った帰り、時間が余ったので竹橋から上野まで歩いて行くことにした。

小一時間の散歩。嫌な思いをせず春を感じるにはちょうど良い時間だ。

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大学の入学式だろうか、ちょっと違和感のある着こなしが初々しい若者たち。忙しなく移動するサラリーマン。御苑に向かう観光客。たまにクラクション。いつもの東京。

竹橋から上野まで歩くには、神保町、御茶ノ水御徒町を通る。どれも僕が十代後半から二十代前半にかけて、通いつめた街だ。子どもが生まれてから買い物はもっぱら大型ショッピングセンターで済ませることも多く、ECサイトの台頭もあって最近は食料品と日用品以外は店舗で買うことはまずない。この数年間で、街はどのように変化しているのだろうか。もしくは変化して見えるのだろうか。

 

神保町。古書の町。いたるところに本、本、本。

横積みされた本の壁をかき分けた先に古本と同化している店主が佇み、僕を一瞥する。客が来たからというよりも、物音がしたから、という感じ。本が売れるとか売れないとかまるで興味のない態度はとても心地が良い。音の発信源を確認すると店主はまた手元の本に目を移し、本の世界へ帰っていった。

Googleは世に出ている本を全て、電子書籍にしようと目論んでいるが、これだけの量を見せつけられると、何か安心してしてしまう。知識のストックが本からデジタルへ入れ替わりつつある現代においてもなお、変換できないものもあるんだぜと、本らしく静かに、対抗しているように見える。古今東西、歴史的に価値のある書籍からビニール本に至るまで、何でも揃う神保町は、グーグル軍でも落とせない要塞なのかもしれない。

 

吸い寄せられるように入った本屋で横尾忠則のエッセイに出会う。80年代アメリカの風俗をtattooから読み解く写真集を見つける。時間を忘れて立ち読みに耽けってしまった。このような偶然の出会いがリアル店舗の魅力なんだろう。例えば僕は先日、アマゾンでAI関連の本を買ったのだけど、AIの書籍を探している時に横尾忠則tattooの写真集に出会うことはまずない。アマゾンからオススメされるのは、同著者や隣接テーマの本だけだ。人は哲学的なテーマに想いを巡ららせる一方で、あきら100%でゲラゲラ笑ったりする多様性のある生き物だ。インターネットは合目的的に使用することが多いため、対極にあるが魅力的なもの、に出会うことが少ないのかもしれない。

 

御茶ノ水、音楽の町。あるいは学生の町。地元の小さな楽器屋しか行ったことなかった当時、ギター、ベースにこれだけ選択肢があるのかと興奮したのを覚えている。アンプ、シールドがセットになった入門用ギターの横に、100万はくだらないギターが飾ってあったりする。試奏しなくても、眺めているだけで楽しかった。

中古CD屋も多い。目当てのものを買わずに他のCDを購入したなんてことは日常茶飯事で、新しいジャンルを開拓するにはうってつけの場所だった。ロックからジャズへ興味が移ったのも、御茶ノ水ディスクユニオンがきっかけだった。

その時感じていた町の雰囲気は当時のまま。ロックキッズがショーウィンドウ越しにギターを眺めていて、長髪・革ジャン・ケミカルジーンズという三種の神器を揃えたおっさん多数。定食屋には学生が溢れている。良い町である。

 

御徒町は相変わらず、雑多。魚屋の横に服屋、高級時計屋の正面に飲み屋。頭上に山手線がガーガー走っている。生ゴミな匂い、アルコールの匂い、タバコの匂いに、香辛料の匂いまで混ざる。何屋か分からない店も多数。店だか空き地だか判断つかないスペースもある。昼間から飲んだくれている親父は相変わらず多い。この人たちはどうやって食っていっているのだろうか。辺見庸が「もの食う人々」日本版を作るなら、先ずここに来るだろうなと夢想する。日本の熱気、奥深さ、そして光と陰さえも感じられる数少ないのかも場所だ。

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1時間の予定が2時間半も道草食ってしまった。最後に露天のケバブ屋で昼飯を取り、終了。久々に良い時間を過ごすことができた。

ちなみケバブ屋の店員はカンボジア人と南アフリカ人だった。外国感出したいのだろうけど、トルコ関係ないじゃん!

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シュウが生まれてからゆっくりと町を歩くのは初めてだった。行き交う人や町並みを観察しながら、時にぼーっとしながら、自分と世界の距離を測る。慎重に、当時の記憶を辿りながら。

 

重度の障害が残ると告げられた時の、絶望感、虚無感は、住んでいる世界を一変させた。圧倒的なマイノリティ感。まさに社会から抹殺されたようで、元気づけようとしてくれる人たちの声でさえも、言葉の節々に疎外感を感じてしまう。主治医と集中治療室のナースしか自分たちを理解していないという状況は辛いものだ。

 

でも世界は何も変わっちゃいない。変わったのは自分の意識。世界は当時のままである。

意識を変えるのは大変だ。でも世界を変えるのはもっと大変だ。ということは―。

とても希望に満ちているのかもしれない。

そんなことをつらつらと考えた春の一日でした。

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東京では桜も満開になり、春真っ盛りという様相です。

季節の変わり目、まだまだ寒暖の差が大きいので、定期的に読んで下さる皆さま、どうぞご自愛ください。

kikuo

 

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プロフィール

kikuo_tamura

社会福祉士 / ソーシャルワーカー

社会福祉法人 松の実会 評議員 / NPO法人 こども子育て・発達支援研究会 監事

H28年6月、重症新生児仮死にて長男が生まれたことから、医療的ケア児関連に特に興味があります。

趣味は登山、トレイルラン、子どもを追い回すこと。1985年千葉県生まれ。
ご意見、ご連絡はお気軽に下さい。とても励みになります。
【m.jiggler@gmail.com】